擬態語

とどのつまり、いくら自らの生死や他者への献身にかこつけて実存または現実を書く理由を美談に仕立てあげたところで、欺瞞なのだ、目にうつるもの全てを食い物にしているくせに。猫の鳴き声に触発されて「にゃー」と模倣し、利用し、擬声語にするような身勝手さだ。そう教えられた。にやり、そわそわなど、本来の音は存在しないけれど言語音はある、 擬態語的な(もちろん元々の擬態語の意味ではないが)文章が書けるようになればなぁ、とこの頃よく思う。詩も。