日記

色づく頬

こんなに長い夜でも、あなたの声がわたしに松明をかざして頬を色づけたそのおかげで、夕顔が咲き、街や干された服が褐色に染まるのを何十年経っても恥ずかしいと思えるのでしょう。

擬態語

とどのつまり、いくら自らの生死や他者への献身にかこつけて実存または現実を書く理由を美談に仕立てあげたところで、欺瞞なのだ、目にうつるもの全てを食い物にしているくせに。猫の鳴き声に触発されて「にゃー」と模倣し、利用し、擬声語にするような身勝…

起伏の激しさ

神話のなかで、山脈の禍々しい起伏を、あれは罪の証で醜悪だと捉えた人たちがいた。だったら、よもや都市のうねった高層ビル群も荒々しいとしなければ。洪水を起こしたのも僕たちだった、と。

copy

現代の世では誰しもが気軽に写真にしろ何にしろうつせてしまう、特に文章で書くような実存なんて、晴眼者にはうつされたものの劣化かつ時代遅れな風潮じゃなかろうか、と過去から今に至るまで、 ひしひしと一層大きく感じられる。物語が少しでも長く生き残っ…

裂開

風景は二重なうえに、過去、現在、未来の三つ声が同時に聞こえてくる始末で破裂しそうになっている。順番に一つずつで、追いつくまで待って、はことごとく無視される。種子、卵、果実のように、 「僕らは砕かれたときに最良のものをだす」 と友人が話してい…

苔むした思考

熊野古道の石段が苔むしていたり、土が積もった巨石の頭に木々が生い茂ったりすると、鉱物自身には神々や新たな命が与えられているようなのに。どうして思考だと、長年の放置で呆けたまま、こうも、ぼうぼうに隠されるのか。

未体験を語る

体験していないことを物語ってはいけないと、それは虚言だと指をさすなら、「最近、阿吽の仁王が夢に現れた。」と我々は夢さえ話すのも禁じられたろう。 猫の日なので、せっかくだから猫の寓話でも書こうかと座椅子でドーナッツ型に丸まった飼い猫を横に、来…

運動不足

思考は凝り固まっていて、おまけに靄がかって糸筋も結べず、掴みづらい。

裸な文字

書き記すのは酷くエゴイストな行為で、視姦や恥辱でもあるのだろう。口は閉じているが、文字は発話よりだらしない。

いるのにいない安心感

草むらに横たわった雨傘、朽ち果てた家屋などの人々に見捨てられた物や廃墟は、暗闇で黒い手を眺めるのと同じぐらい落ち着く。(情報媒体でスポットを当てられるような場は除くとして。) 壁が崩れ、戸や窓ガラスも外れていて、常に家中は開かれているのだけれ…

とある散歩の風景

丸太を組み立てた塀に赤いナツヅタが巻きつき、その下では、落ち葉や排水路の溝蓋の内部からすらりと高々に顔を出したくっつき虫のコセンダングサが黄色い花を咲かせていて、 死んだ植物に他の命が絡みついたり、すぐ側で芽生える感じに、私はハッとさせられ…

黴火

三階で、黴のようないくつかの点々が一番奥の部屋の壁に付着しており、そこの壁を手でめくってみると、壁内の木板にはいっそう黴が広がっていた。どうしたらいいものかと悩み、自分の部屋へひとまず戻ったとたん急に煙が立ち込めてきて、何事だろうと廊下に…

書くことの断捨離

太陽よりも、自身の輝きではない月ぐらいの光がちょうどいいようにも思う、というニュアンスの詩を十年前に消した。書くこと自体、自分の中から捨てるようなものかもしれないが。

山伏蕎麦

こんなところにあるのだろうか、と不安になるような杉並みが囲む細い坂道を車で抜けると、やっと人の気配が感じられた。下にも山々が見渡せた。布のテントを張った四、五つの出店をひと回りしてから、熊野本宮で農をベースとして暮らし、大きな囲炉裏と大黒…

儚い足跡

昼を待たずに溶け出してしまいそうな雪の上を、じきになくなるのに人々の足跡のかたちが点々とついてゆく、といった都会の忙しない風景がなんとも儚げで好ましかった。地元に来てからはめっきり音沙汰がない、雪も人も。

透明なあなたの姿

晩ご飯を食べ終えたあと、茶色い液体がほんの少しだけ入ったウイスキーボトルや汚れた皿、空のコップといった物たちがテーブルに置かれている様子を、ひとりになっても、片付けもせずにじっと眺めていた。それらは、あなたはいた、という残り香のようだった。

離れた後

秋冬に髪を切ると「落ち葉は木の一部だと思う、それとも、葉自身だと思う」と、イチョウの並木道で聞いてきたあの人の質問とともに、美容室の床に落ちた髪の毛を見てしまう。 葉であれば、木から離されたあと、寿命が尽きてしまうのはいつだろう、とその時も…

ゆかし潟

一昨日に訪れたゆりの山温泉の近くには「ゆかし潟」と呼ばれる淡水と海水が混ざりあった湖があり、春は桜、冬場には水鳥がその景観に幻想的な美しさを与えることから、新宮市出身の作家・佐藤春夫さんが名づけたそうだ。(歌文「なかなかに名告ざるこそ床しけ…

空に落ちる

子供の頃、食パンほどの大きさがあるスタンドミラーを水平にして両手に持ち、自分の顔がわずかに入るぐらいに鏡を覗きこんで、天井を映しながら家中をうろうろと歩き回っていた。 そうすると、重力がひっくり返り、自分が逆さまになって天井を歩いているかの…

新しい光と影と

着るものに迷ってベッドに脱ぎ捨てた服や旅行鞄など、置いてあるものは何も変わっていないのに「あれ、こんな部屋だったかな?」と真夜中に帰って来て思うことがあった。 とっくに日は沈んでおり、出掛ける前にはあった窓からの採光がなかった。黒ずんでいた…

海が食べた頁

ある日の午後、白波が中身だけを噛みちぎって飲み込んだ、海が食べたような、と頁がごっそりと破れた状態で浜に打ち上げられていた装丁の分厚いノートを拾い、そう思った。中は空っぽで、蝉の抜け殻のようだった。

平安、ハンター、バハムート

御殿らしきところで、「あなたはミサトと名乗るといいわ。女の名よ。」と、平安時代の衣装を着た妾の女性が怒りながら帝に話している、という夢を数日前に見た。 ✳︎✳︎✳︎ 「ああいう獣はこっちの弾を使わなければ仕留められないんだ。あんた、最初から、あい…

私は、額から頭頂部にかけて毛を剃ったか、禿げた髪型の中年男性であった。自分で言うのもなんだが、容姿はさほどよくなかったように思う。こめかみから後頭部はきつく結っているのか、なんなのか、艶々と黒光りした毛がぴったりと纏まっている。 老若男女の…

盲目の世界で

あの花はーー。 全ての言葉は盲目だから。書いても花はここでは何も見えやしない。盲人のように想像でしか。

たゆたう水

本を身体に染み込むように読めた、少なくとも今日は。また穴が。口を無くすかもしれない。乾くなら、(雨の日の)落ち葉のようにいつでも水には無防備でありたい。 ✳︎✳︎✳︎ 手のひらいっぱいに掬った水が、両手の中で震えていた。あなたの心と似ていた。

煙草をふかすあなた

シャツを波打ち、まっすぐな黒髪を揺らしていった夏風の背に、つづら折りの色と香りをつけました…思いを馳せる。 ✳︎✳︎✳︎ 祭りの終わりに飲んだラムネ瓶と灰色がかった晴空に、もう初夏なのだなと思った。

名付けえぬもの

割れた花瓶、解体された車、魚のはらわた等に私を投影してみては、まとまったものたちを複雑に思う。当然、私と同じ断片じゃないことも知っている。立体に見えるよりも平面と平面が連なって見えるほうが単純だ。けれど、点さえ砕かれて姿を保てなくなったも…

目の中とキュビズム

ふと気がつくと真っ暗な場所を漂っていた。ここは何処なのだろう、何かないだろうかと辺りを見回す。唯一、うっすらと横に並んだ二つの楕円形の光らしきものが見える。なんだか、私が井戸の底に落ちているようでもあったし、宇宙空間にぽっかりとそこだけ穴…

口の裂けた影法師

怨みごとを言いたいが必至に歯を食いしばって堪えている、とでもいうような女の押し殺した声がゆっくりと聞こえてきた。部屋の中に姿は見当たらない。一体何を喋っているのだろう、と耳をそばだてたが、聞き取りづらく、日本語でも外国の言語でもないようで…

幽体

仰向けに横たわっていると浮遊感があった。身動きしない固いワタシに、靄のような私が皮膚や骨の隅々に重複してかぶさっている感じとでも言うのだろうか。 ワタシから離れてみようと、私の上半身を起こすような動作で浮かべて左右にゆするが、身体ひとつぶん…